焼酎酒造を尋ねて
宮崎県国富町 川越酒造 2003年1月27日
1月27日、始発で私の旅は始まった。とても寒い朝だ。羽田空港から一路宮崎へ向かう。
宮崎空港について、まず驚いたのは暖かさだった。着ていたコートが邪魔だ!!
ここから宮崎市内に向かい、隣町の国富町へ向かった。国富町の人口はおよそ2万2000人。
私の想像では広々とした田園地帯にぽつりと酒造があると勝手に思っていた。
想像は大はずれ!町の真ん中、交通量も多い県道に面している。
ところが県道に面しているにも関わらず私はなかなか見つけられず迷っていた。
すると先の方から米の蒸した匂いが漂ってくる。「ここだ!!」でも看板がない・・・。
確信がないまま敷地内に入って行くと、奥様の龍子婦人が出てきてくれた。
とてもにこやかで感じのいい人だ!事務所に案内していただき、早速焼酎について話を伺うことに。
国富町にも以前は5軒あった焼酎蔵は次々と廃業し、現在では川越酒造さん1軒のみ。
川越酒造さんも大手メーカーの進出で、存続できるかどうかの瀬戸際に立たされたこともあったそうだ。
そんなとき、転機が訪れた。川越さんのお酒を評価する福岡の人々と出会い、市場に「川越」を販売したところ、
これが人気を呼んだとのこと。と、ここで当主の川越善博さん登場!!
人柄なのであろう、とても穏やかな話し方をする人だ。
ところが酒造り話しになると、がぜんいきいきと能弁になるから驚いた。
今日は米焼酎の仕込みをしている。銘柄は「赤とんぼの詩」。とても忙しそうである。
川越さん「年間で休めるのは3日あればいい方ですよ。」
それを聞くと焼酎造りがいかに大変なのかがすぐに分かる。
昨年「川越」が全日空の国際線で販売される焼酎にも選ばれ、さらに忙しいようだ。
だが、売れるからといって生産量を増やそうとはしない。一次仕込みは甕仕込み。
そして豊かな味わいを生み出す常圧蒸留。昔ながらの製法では、杜氏(とうじ)の目が届く範囲に限界がある。
だから増やせないんだと川越さんは言っている。
龍子婦人「でも食べていければじゅうぶんなんです」と言う。
龍子婦人「一生懸命造ったお酒をお客さんが喜んで買ってくれる、しあわせです。」
この言葉が今までの苦労を集約した一言に思えた。
これまでは酒造りは夫婦二人三脚だったそうだが、昨年よろ息子さんが加わり、三人で造っているとの事。
聞けば、息子さんは私と同じ歳だ。是非会いたかったが、あいにく留守にしていた。残念!!
でも息子さんが加わって、これからも旨い焼酎を造り続けてくれるそうなので安心した。
やーそれにしても龍子婦人が出してくれた自家製きんかん、美味かったー。
川越さん「じゃー蔵を案内します」川越さんの一言。
大介「待ってました!!おねがいします!!」ウキウキしながら川越さんの後を追う。
左右二棟のあいだは屋根付き通路となっている。進むと、右側の奥にボイラーがある。ドラムと三角棚もある。
ちょっと最近話題の査察団になった気分がする。
川越さん「ドラムは、麹用の米を洗ったり蒸したりするのに使う回転する機会です。この中で蒸しあがった米に種麹を混ぜて麹菌の種付けも行う。
種付けをした米は、その後、麹菌の繁殖に最適な温度と湿度を保つことができる場所に移されるが、その麹菌が繁殖させる場所が三角棚です。
ドラムと三角棚は一対のものです。」

大介「んー何だか難しい話で苦手分野だ・・・。」
もっと勉強してくればよかったとすぐに思った。
川越さん「いい麹を造る決め手は米の蒸し方です。麹の成否の7〜8割りは蒸し方できまるんですよ」
「蒸した米が固まっていると、デンプンがブドウ糖に変化しにくく、そのような麹を使うとピリピリする舌触りの焼酎になってしまうんです。」
麹が焼酎造りいかに大切かがよく分かる。
その後「仕込蔵」「貯蔵庫」も見せていただいた。貯蔵庫は真っ暗で、入った途端に焼酎のいい香りが漂った。
大介「あー飲みたい!!」そう思わずにはいられない。

更に奥に進むと瓶にラベルを一枚一枚貼っている。こんなに有名になった焼酎でも一枚一枚手貼りしているとは驚きである。
心のこもったものは食事でもお酒でも何でも美味しい訳が少し分かったような気がした。
残念ながらここでお暇する時間がきてしまった。最後に龍子婦人からちゃっかりお土産をいただいて帰路についた。
ちょっと難しくて、蔵で聞いた話はところどころ抜けちゃいましたが、とにかく感動の連続でした。
この文章を書きながら、川越のお湯割を飲んでしまった。やっぱり最高だ!!
川越酒造の「川越」はお店で飲めますので、是非お試しあれ。
